■ Title Index : all ア カ サ タ ナ ハ マ ヤ ラ ワ A-Z・数字 監督別 |
■ ★評価別Index : ★★★★★ ★★★★ ★★★☆ ★★★ ★★☆ ★~★★ |
2006年
11月
02日
(木)
12:29 |
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映画「レディ・イン・ザ・ウォーター」オリジナル・サウンドトラック
「レディ・イン・ザ・ウォーター」 ★★★
LADY IN THE WATER (2006年アメリカ)
監督:M・ナイト・シャマラン
脚本:M・ナイト・シャマラン
キャスト: ポール・ジアマッティ、ブライス・ダラス・ハワード、フレディ・ロドリゲス、ジェフリー・ライト、ボブ・バラバン、サリタ・チョウドリー、ビル・アーウィン、M・ナイト・シャマラン
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⇒ レディ・イン・ザ・ウォーター@映画生活

「レディ・イン・ザ・ウォーター」 ★★★
LADY IN THE WATER (2006年アメリカ)
監督:M・ナイト・シャマラン
脚本:M・ナイト・シャマラン
キャスト: ポール・ジアマッティ、ブライス・ダラス・ハワード、フレディ・ロドリゲス、ジェフリー・ライト、ボブ・バラバン、サリタ・チョウドリー、ビル・アーウィン、M・ナイト・シャマラン
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シャマランはMr.ビーンとザ・タッチくらい激似w。
勿論そんな発見で嬉々とする映画ではない。当然ロンの娘ブライスのあのシャツ一丁姿は萌えるけど足はえらくごんぶとだな!、と気づく為の映画でもないわけだ。
総てのパーツを取ってつけたようなこのご都合主義な映画は、映画としてはやっぱり上手くはない。
それが現代のお伽話で、寓話に照らしたシャマランなりの現代社会へのテーゼがあろうとも、これだけ整合性のない映画が批評家に酷評されないわけがないだろう。表層的には完全にダメ映画かもしれない。
但し表層的には、である。
でも何がやりたい監督なのか、それは本作で本当に痛いほど伝わってきた。
というわけでここからはいつもながら管理人の勝手な推論。
「シックス・センス」、「サイン」、「ヴィレッジ」、シャマラン監督は常に「怖れ」をモチーフにしてきたが、その根本に共通するものが「レディ・イン・ザ・ウォーター」ではより明確になったのではないかと思う。即ちそれは喪失感に満ちた人間の弱さとそこからの再生というテーマだ。大なり小なり人は皆傷を抱え、自分の心の弱さに怯えを持ちそれを覆い隠しながら生きている。そんな魂の解放を愛情というキーワードを用いて、しかもネタ系ホラーというこのテーマが無茶苦茶見え難いジャンルでシャマランは描き続けていたわけだ。
そして満を持して「レディ・イン・ザ・ウォーター」である。今度はオチの捻りもどんでん返しも何もないストレートなファンタジーだ。
モンスターやエイリアンと出会った人間が、得体の知れないしかし愛すべき訪問者を必死に守り、それを帰還させる。これは「E.T」や「コクーン」「NY東八番街の奇跡」と全く同じ流れであることに気づかない人はいないだろう。
映画は先程述べたように決して出来のいいものではない。前述したようなハリウッド映画に比較しても、突っ込めば幾らでも突っ込める穴だらけのファンタジーだ。
例えばお伽話の重要人物の役割を果たす人間を探すのも、パズル解いてるだけのおっちゃんとかこっちが心配したくなるような適当な理由付けに終始する。大体その裏づけとなるお伽話を語っているのがヒステリックな韓国のオバサンたった一人。なのに記号論者や職人、治癒者といった役割を与えられた途端に、ただのアパートの住人だった皆さんがまるで預言者か聖人みたいになっちゃうという見事なまでの覚醒を遂げる。まぁそもそも妖精にしてはやけにごっついけど素っ裸の綺麗な女を夜中に部屋に入れたら正常な普通の男なら(ry
最初から最後まで、“そ、そんなんでいいのか?”とか“だ、大丈夫か?”と観客を不安に陥れて全然確証のないままエンディングまで強引に引っ張っていくのだ、ある意味凄まじい展開である。
だがそのような支離滅裂に近いストーリーテリングの穴の部分ばかり引き合いに出すと映画の意図はおそらく見えてこないだろう。水の妖精に出会って彼女を救うことで家族を失くした男の心は癒され再生に向う。自らの女王としての役割に半ば怯えていた当の妖精自身も、人々の心に救われて旅立つのだ。「レディ・イン・ザ・ウォーター」はこれまでのシャマランの作品で脈々と流れていた人間の怖れ、弱さ、そして魂の再生救済というテーマをかなり解り易くクローズ・アップして見せるものだ。
そして何故水の妖精が陸に上がってきたのか、彼等を助けることが人間の未来にどんな意味があるのか、オープニングの一連の神話の語りに戻ってみるといい。メシアのような妖精の登場を願い現状から脱出したいのは、正義という剣を持って無為な戦争を繰り返し抜け出せない底なし沼にはまっているアメリカ自身とそれを取り巻く世界そのものではないかという怪しい想像の一つもしたくなるだろう。
イラク戦争の映像を流すTV画面が映り込み、シャマラン扮する男は世界の為に命を落とすことを予言される。多人種で構成され、互いのことを知らない者同士が暮らすあのアパートは、そのまま社会の縮図となっていたように思うのだ。
偽善と欺瞞に満ちたこの世界の未来にそれでもシャマランは希望を見い出そうとする。
主演は「サイドウェイ」「シンデレラマン」でその上手さは証明済みのポール・ジアマッティ、共演には「ヴィレッジ」「マンダレイ」のブライス・ダラス・ハワード、エロくないのが妖精には合っている。サブタレイニアンさんの記事でエラ呼吸してそうだと指摘されていた、言い得て妙w。
一番興味深い所は、批評家に斬り捨てられることを予感していたのかと感じさせる、作品中の映画批評家とシャマラン自身の演じたキャラクターである。批評家は思わせぶりに登場するものの、ストーリーを救うための役割を何ら与えられることなく、完全に観客をミスリードする存在でしかない。ただ悪意に貪られる無力なキャラクターとしてしかも13Bという記号的呼称で描かれ、予め作品批判への覚悟を見せつけるかのように批評家に釘を刺している。「僕の映画にケチつけるなっ(半ベソ)」とでも言わんばかりだw
自身でキーパーソンまで演じた挙句、総て確信犯で激ユルでピュアなファンタジーを貫き通したとすれば、この監督はやっぱり只者ではない。
と言ってもシャマランの意図など知ったこっちゃないオチネタ命に期待する多くの鑑賞者は、こんな矛先を向けられると余計に腹を立てるんだろうけどな。
レポート書こうと思ってたのに気がついたらこんなことしてる俺ってOTL
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勿論そんな発見で嬉々とする映画ではない。当然ロンの娘ブライスのあのシャツ一丁姿は萌えるけど足はえらくごんぶとだな!、と気づく為の映画でもないわけだ。
総てのパーツを取ってつけたようなこのご都合主義な映画は、映画としてはやっぱり上手くはない。
それが現代のお伽話で、寓話に照らしたシャマランなりの現代社会へのテーゼがあろうとも、これだけ整合性のない映画が批評家に酷評されないわけがないだろう。表層的には完全にダメ映画かもしれない。
但し表層的には、である。
でも何がやりたい監督なのか、それは本作で本当に痛いほど伝わってきた。
というわけでここからはいつもながら管理人の勝手な推論。
「シックス・センス」、「サイン」、「ヴィレッジ」、シャマラン監督は常に「怖れ」をモチーフにしてきたが、その根本に共通するものが「レディ・イン・ザ・ウォーター」ではより明確になったのではないかと思う。即ちそれは喪失感に満ちた人間の弱さとそこからの再生というテーマだ。大なり小なり人は皆傷を抱え、自分の心の弱さに怯えを持ちそれを覆い隠しながら生きている。そんな魂の解放を愛情というキーワードを用いて、しかもネタ系ホラーというこのテーマが無茶苦茶見え難いジャンルでシャマランは描き続けていたわけだ。
そして満を持して「レディ・イン・ザ・ウォーター」である。今度はオチの捻りもどんでん返しも何もないストレートなファンタジーだ。
モンスターやエイリアンと出会った人間が、得体の知れないしかし愛すべき訪問者を必死に守り、それを帰還させる。これは「E.T」や「コクーン」「NY東八番街の奇跡」と全く同じ流れであることに気づかない人はいないだろう。
映画は先程述べたように決して出来のいいものではない。前述したようなハリウッド映画に比較しても、突っ込めば幾らでも突っ込める穴だらけのファンタジーだ。
例えばお伽話の重要人物の役割を果たす人間を探すのも、パズル解いてるだけのおっちゃんとかこっちが心配したくなるような適当な理由付けに終始する。大体その裏づけとなるお伽話を語っているのがヒステリックな韓国のオバサンたった一人。なのに記号論者や職人、治癒者といった役割を与えられた途端に、ただのアパートの住人だった皆さんがまるで預言者か聖人みたいになっちゃうという見事なまでの覚醒を遂げる。まぁそもそも妖精にしてはやけにごっついけど素っ裸の綺麗な女を夜中に部屋に入れたら正常な普通の男なら(ry
最初から最後まで、“そ、そんなんでいいのか?”とか“だ、大丈夫か?”と観客を不安に陥れて全然確証のないままエンディングまで強引に引っ張っていくのだ、ある意味凄まじい展開である。
だがそのような支離滅裂に近いストーリーテリングの穴の部分ばかり引き合いに出すと映画の意図はおそらく見えてこないだろう。水の妖精に出会って彼女を救うことで家族を失くした男の心は癒され再生に向う。自らの女王としての役割に半ば怯えていた当の妖精自身も、人々の心に救われて旅立つのだ。「レディ・イン・ザ・ウォーター」はこれまでのシャマランの作品で脈々と流れていた人間の怖れ、弱さ、そして魂の再生救済というテーマをかなり解り易くクローズ・アップして見せるものだ。
そして何故水の妖精が陸に上がってきたのか、彼等を助けることが人間の未来にどんな意味があるのか、オープニングの一連の神話の語りに戻ってみるといい。メシアのような妖精の登場を願い現状から脱出したいのは、正義という剣を持って無為な戦争を繰り返し抜け出せない底なし沼にはまっているアメリカ自身とそれを取り巻く世界そのものではないかという怪しい想像の一つもしたくなるだろう。
イラク戦争の映像を流すTV画面が映り込み、シャマラン扮する男は世界の為に命を落とすことを予言される。多人種で構成され、互いのことを知らない者同士が暮らすあのアパートは、そのまま社会の縮図となっていたように思うのだ。
偽善と欺瞞に満ちたこの世界の未来にそれでもシャマランは希望を見い出そうとする。
主演は「サイドウェイ」「シンデレラマン」でその上手さは証明済みのポール・ジアマッティ、共演には「ヴィレッジ」「マンダレイ」のブライス・ダラス・ハワード、エロくないのが妖精には合っている。サブタレイニアンさんの記事でエラ呼吸してそうだと指摘されていた、言い得て妙w。
一番興味深い所は、批評家に斬り捨てられることを予感していたのかと感じさせる、作品中の映画批評家とシャマラン自身の演じたキャラクターである。批評家は思わせぶりに登場するものの、ストーリーを救うための役割を何ら与えられることなく、完全に観客をミスリードする存在でしかない。ただ悪意に貪られる無力なキャラクターとしてしかも13Bという記号的呼称で描かれ、予め作品批判への覚悟を見せつけるかのように批評家に釘を刺している。「僕の映画にケチつけるなっ(半ベソ)」とでも言わんばかりだw
自身でキーパーソンまで演じた挙句、総て確信犯で激ユルでピュアなファンタジーを貫き通したとすれば、この監督はやっぱり只者ではない。
と言ってもシャマランの意図など知ったこっちゃないオチネタ命に期待する多くの鑑賞者は、こんな矛先を向けられると余計に腹を立てるんだろうけどな。
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