-何の参考にもならない映画評-
The Door into Summer
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そして今日も映画を観ていない
2006年 10月 30日 (月) 20:33 | 編集
最近とある映画ブログ同士でのやりとりについて偶然読む機会があり、色々考えさせられたので一度今自分が思うことについて整理しておきたいと思う。
該当記事についてはご存知の方もいるだろうし、ここで敢えて内容には触れません。双方の言い分の正否云々ではなく、とにかくブログというツールを使って個人の意見を書き綴り、それを公開するという事の意味について、或いは評論と感想の狭間でウロウロして一般人である我々が映画を称賛したりこき下ろしたりする行為の意味について改めて考えさせられた記事だったのだ。特にその発端が黒沢清の「LOFT」という作品にあったということも注目の所以だったことは言うまでも無いw。

まず映画の評論感想について。
映画には様々な受け止め方があり、それが評論であろうと感想であろうと映画という媒体について個人が発言する際に、個人的嗜好や主観を抜きにしてその映画の出来を公平に評価するのは実は非常に困難を伴う作業だと思う。そしてそれを他者に伝える行為も然りである。
俳優監督も含めた映画製作に関する基本的な知識、また興味の度合いにしろ嗜好にしろその個々に依って全く違う。しかも個人的趣味嗜好や理解度の深さとは、その人間の生きてきたバックボーンなり感性・価値観、また人生体験や映画体験による分析力・判断力というものを如実に体現し反映する一端でもある。それ故に感想一つ取ってみても千差万別な結果を生むと思うのだ。

そして今ブログで愚にも付かぬ記事を書きつつ最近感じる事は、映画感想の相違または相似が意味するものは、それを生む個人差そのものを浮彫りにするという事である。記事についての論争即ち個人的見解への意見の応酬はあって然るべきだと思う。つまり解釈分析等の批評内容の観点で議論されるべきであって、記事自体の正否を巡る議論から相手の価値観や人間性まで否定に及ぶことは避けなければならないモラルであろうとも思う。
自己と異なるものを許容できないという心理は極めて狭小で幼稚な志向だが、我々が最も陥り易い誤謬でもある。互いの価値観の違いを容認し、他の意見を尊重するという大前提(勿論良識的なレベルはクリアの上で)が無ければ自由な言論なんかどこにも保障されないのだ。

それからブログというツールについてだが、これだけブログが増えている現状では(FC2だけでも登録数80万人、100万サイト超)当然他人の記事に賛同できず激しく対立することも時にはあるわけだ。ここで意見交換の場というブログが持つ特徴の中には、ネットのオープン性という利点と個人同士の中傷誹謗を生む危険性の両方を常に孕んでいることを忘れてはならない。
ブログは「個人の意見感想」の置き場であるが、その情報を公開している以上相容れない他人の目にいつも晒されている。昨今ではブログ炎上という事態もよく目にするが、結局はこれも一つのネットの持つ陥穽であり、ネット世界の大きさを甘く見たしっぺ返しでもある。(⇒炎上について by Wikipedia)
今回のやりとりの最大の問題は、記事に対してのレスという方法が採れるにも関らずそれを採らずして相手の意見を自ブログで糾弾するという行為と論調の是非ということだろう。また元記事に関しても反対意見が脈々と存在することへの認識の甘さという部分も指摘できるかもしれない。ブログは「読む」「読まない」という選択の権利が猶予され、自己満足の完結体でもあるが、公開された以上トラブルの火種はどこにでも転がっていそうだ。自分もメールで叱責頂いたり(爆死)記事の間違いを指摘して貰うことは多々あるが、いずれにしてもブログポリシーを含め自分の考え方を見つめ直すいい契機だったと思う。

まぁ結論黒沢清の「LOFT」だからこんなことになったのである(凄い総括w。
元記事が「スパイダーマン」とか「ダイ・ハード」だったら起こり得なかった議論だろう。商業主義的な映画とそうではない映画との間にある距離を再認させられる話だが、映画に対して何を求めるかということがやはり全てだと思う。映画に常に解り易さや感動を求める人もいれば、所謂ハリウッド的エンターテインメント作品を支持しない人もいる。評論家には高い評価を受けても一般性のない作品というものが存在する事は事実で、作り手の意図を分析し理解しようとしなければ決して見えてこない映画には賛否あって当然だろう。しかし公開された作品に対する評価は常に自由であるべきで、褒めようと貶そうと映画を観る為に劇場に足を運ぶそんな観客に映画は支えられている。またその中でもマジョリティとなっていく意見が映画の評価というものを左右していることも事実なのだ。
映画は娯楽である。総合芸術とかそんな小難しいことを言う前に、人の心に様々なものを与えてくれる娯楽だ。どんな作品だろうとそれを求めて鑑賞する人がいる限り作られる意義があり、黒沢清もゴダールもジョン・ウォーターズもそれを求めて愛し続ける人々がいるということなのである。そしてそんな娯楽が癒しや人生の糧になることだってある、だから皆止められないのだ。
口コミで広がって公開が実現した「ホテル・ルワンダ」や拡大ロングランとなった「時をかける少女」のような例もあるようにネットの評判も今は無視出来ない状況にある。映画評或いは感想ブログと銘打ってブログを始めたブロガーは自分も含めて大概プロではない一般の映画ヲタシネフィルだろうが、共通する物は間違いなく映画への愛だよな、とも思うw。

因みに双方のブログさんは個性的であり個人的にはどちらも魅力的だと思う。そういう意味では自分トコはどうよ?(;´Д`) と反省の意味も込めて振り返ると、客観的評論を書くにはとりあえず知識不足、でもって人生体験が圧倒的に不足、文章力も昔から微妙、更新もやる気なし(ダメじゃん。
一般的にはおそらく受容称賛され易いであろう作品に諸手を挙げて賛同できない自分の価値観をブログで表現することにしても、結局はただの趣味の領域の四方山話の一環に過ぎず、マイノリティーの足掻きでしかないかもしれない。だがそれを認識しながらも繰り返し書くという行為は、記憶補完という側面は勿論のこと、自分の奇妙な感性(爆)や無知の露呈という危うさも含みつつアイデンティティーの再認と個性の発現に他ならないと思う。それは言い換えれば他者との隔たりの確認行為そのものだったりする、う~ん、アカルイミライ的帰結だ(違

そういえばお世話になっているブログさんの中には全然意見が合わないブログさんも多い、というか俺がおかしいんですね多分いやきっとw。
この自己中な学生のほざく記事をTBさせてくれる寛容なブロガーの皆さん、ほんといつもありがとうございます。「合わない」というベースの部分はかなり決定的な違いだと思いますが、支持批判多種多様な意見に触れてこそ自分の見識や受容力も広がると信じて止みません。
ぁ~、俺も22年生きてちょっとは大人になったかしら(・∀・;)


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