-何の参考にもならない映画評-
The Door into Summer
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「ベルヴィル・ランデブー」
2006年 08月 10日 (木) 21:55 | 編集
ベルヴィル・ランデブー ベルヴィル・ランデブー

ベルヴィル・ランデブー」 ★★★★

LES TRIPLETTES DE BELLEVILLE、THE TRIPLETS OF BELLEVILLE
(2002年フランス/ベルギー/カナダ )
監督:シルヴァン・ショメ
脚本:シルヴァン・ショメ
音楽:ブノワ・シャレスト
絵コンテ、グラフィックデザイン:シルヴァン・ショメ
キャスト(声の出演):ジャン=クロード・ドンダ、ミシェル・ロバン、モニカ・ヴィエガ
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このごちゃごちゃと猥雑でシニカルに捻じ曲がった世界観、どこかで観たことがあるような懐かしい既視感があるのは何故だろう。
もし例えるとするならば、ティム・バートンでは断じてない、敢えて言うならばジャン=ピエール・ジュネの「ロスト・チルドレン」だろうか。

作品の最大の魅力の一つが絵の独創性だろう。限りなく魔女に近いグネグネしたベルヴィルのトリプレットといい、どこまでも愚かな犬にドミノみたいに四角いマフィア達、女の身体のような船のライン等々、観察による鋭利かつ大胆なデフォルメにはとにかく感動の一言だ。加えて人の手を感じさせる風景描写の描き込みの繊細さやレトロな色遣いのセンスも作品の強烈な個性の一端を支える物だ。日本ではアニメ=漫画の動画という印象が強いが、「絵」そのものが動く世界、それがアニメーションなのだと改めて感じさせられる作品だと思う。

そして映画のテーマを考える際に着目すべき重要なキーポイントはベルヴィルという巨大都市の表現と、古びて時代遅れなものとの対照的な描き方だ。
老婆と犬が海を渡って訪れたベルヴィルの街は、享楽的な合理主義に乗っ取られた醜悪な顔を持つ街だ。肥満して弛みきった自由の女神、"HOLLYWOOD"ならぬ"HOLLYFOOD"、ハンバーガーに変わるマフィアの顔、花火のあがるディズニーランドの城とも見紛うベルヴィルのビル群。これ等の表現をあたかもアメリカ的文明とそれを象徴するものたちへの痛烈な皮肉とブラックジョークとして受け取ることは勿論容易だ。
だがアメリカ批判がテーマなのかというとそれは少々早急な結論であろうと思う。ここで考えなくてはならないのが作品の構成の部分である。
映画の冒頭はベルヴィルの三つ子が登場するカートゥーンのTV番組で始まる。それに見入る老婆と幼い孫息子、途中で中断されたTV番組を完成させるものが、彼等自身の冒険譚になっていくのだ。即ちツール・ド・フランスの誘拐事件以降は、カートゥーンのアニメーションの世界が錯綜したイマジネーションの世界になるわけだ。そして幻想の世界は「ベルヴィル、ここまで、またのお越しを」という標識で幕を閉じ、現実世界のラストはやはりTVを観る孫息子の老婆への答えで終わる。終わりだと答える孫の姿は最早年老いて、老婆と犬は写真の中に納まって既にそこにはいない。続いて暗転しエンドロールではベルヴィルの三つ子のスウィング。
実は何度か登場するこの曲の歌詞が非常に重要なのである。
ベルヴィルのトリプレットは歌う。
「グニャグニャしていたいんだ、ヨレヨレのバカでいたいんだ、イカれて騒いでいたいんだ」と。だが彼等の歌には「嫌なものは嫌、大切なものは大切」と、簡単には時代の趨勢に流されない確固たる信念をもまた感じさせられる。言い換えれば年月が経っても人には変わっちゃいけないものもあるし、弱くて愚かでスマートじゃなくても失くしたくないものもあるということだ。その対極的なメタファーとして登場するものがアメリカ的合理主義に覆われたあのベルヴィルの巨大都市なのであろう。
他ならぬ癖になりそうなスウィングこそ、本作のテーマを鮮やかに収束するモチーフだったのではないだろうか。

人間の快楽追求の為に歪んだ文明社会へのシニカルなジョークと、そして古きもの、即ち愚直だが優しさに溢れた真実への限りないオマージュと。
両親に捧ぐ、と結ばれたエンディングで無性に切ない思いにかられるのは、この作品の中に時代の変遷と共に消えかけようとしている暖かな世界が閉じ込められているからだと思う。
孫に注がれる躊躇ない老婆の無私の愛情で、この作品は終始一貫している。だが不思議なことに、トリプレットに助けられて孫を奪還した老婆と、助けられた当の青年との会話は全く描かれてはいない。スクリーンに映し出された風景映像を見つめて自転車をこぎ続ける青年の姿は酷く奇妙だ。だが思うに、人間は愛されている時にはその愛情を自覚することができなかったり、素直に受け容れることができなかったりすることもあるだろう。そう考えればあのファンタジックな救出劇は、老婆が生きているときには気づかなかった限りなく深い愛情というものを別の形で表したものであるようにも思う。だからこそ青年は幼い日の祖母の問いかけに何年もの年を経て答えるのであろう、「終わりだよ」と。

人の温もりが感じられるアナログ的な世界の魅力に溢れた作品である。
時代が移り変わろうと、変わらず価値のあるものが存在する、画一的な合理主義で標準化された世界なんてつまらないのだ。「ベルヴィル・ランデブー」はそんなテーマをブラックでナンセンスなユーモアとアイロニーで実に軽妙にさりげなく語ってみせる。
中でも老婆がトリプレットとセッションするシーンは秀逸、必見である。カートゥーンに登場するフレッド・アステアやジャック・タチのポスター等旧き名作へのオマージュも映画ファンには見所の一つだろう。
最後の最後、足払いでしっかり活躍する婆ちゃんの片方の靴、立ち尽くす貸しボート屋、完璧な伏線の回収っぷりも洒落ている。また台詞や説明を最小限に留め、効果音と映像だけでここまで表現できることに率直に感動を覚えずにはいられない。アニメという域だけでなく一つの映画として文句なしに傑作だと思う。

NYやLAの批評家協会賞を受賞するなど2003年の映画賞レースを席巻するものの、オスカーの長編アニメ賞にもノミネートされているが、「ファインディング・ニモ」に阻まれ受賞を逃している。こんな傑作に賞をやれないところがオスカーらしいところだがw。


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