-何の参考にもならない映画評-
The Door into Summer
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「トーク・トゥ・ハー」
2005年 08月 24日 (水) 13:04 | 編集
トーク・トゥ・ハー スタンダード・エディション トーク・トゥ・ハー スタンダード・エディション

「トーク・トゥ・ハー」 ★★☆

Talk to her (2002年スペイン)
監督:ペドロ・アルモドバル
キャスト:ハヴィエル・カマラ、ダリオ・グランディネッティ、レオノール・ワトリング、ロサリオ・フローレス

相手の意思を無視した愛情が愛と呼べるのか、否か?

この作品は人其々の「愛」に対する価値観・倫理観を観る者に問う重いテーマを包含している。愛情という言葉を冠にして一体どこまでの行為が許されるのか?一方的であればあるほどそれを愛情とは呼べない、否呼んではいけないだろう。
客観的にベニグノという男の行為を見た場合、彼の行動はエゴとしか判断できない。相手のことを知りたい、もっと近づきたい等の愛する者への独占欲が、結果として暴走してしまったとしか思えないというのが普通の判断であろう。

映画としての完成度とか作品全体の出来以前の問題として、このようなテーマを美しく持ち上げようとする意図が胡散臭く感じられて全く共感はできなかった。勿論映画というものは人々の共感や理解を得る事だけが目的ではないからそれは単なる個人的な感傷に過ぎない。だが本来醜悪なものを究極の愛という美辞麗句で覆い隠し、人間としての最低のモラルを簡単に破戒してしまうような欺瞞をこの作品には感じないではいられないのだ。

ベニグノの行為によってヒロインが目覚めたという事実を、彼女が生を与えられたと見ることは確かに可能だろう、しかし視点を変えれば実体は献身的な介護者を装ったただの雄の行為である。すり替えられた愛情とエゴの結実が彼女の覚醒だったとすれば、それはあまりに残酷過ぎる、倫理的には禁じ手だろう。
劇中劇のサイレント映画や冒頭のダンスシーンは、このような一方的な愛の形を象徴するものである。だが、それ自体は非常に印象的で心に残るものの、作り手の意図したメタファーとしての役割を考えた場合、それは単なるベニグノの行為自体の美化正当化という要因にしかならないように思う。このレトリック的な映像表現が映画の中である意味最も面白いものであるのも皮肉なことだが。

そして見方を変えれば、賛否あって論議の的となるという意味では、作り手の側にとっては成功している映画と言えるだろう。また例によってアルモドバルが大得意とする「変り者大集合」的な演出がこの作品にも見受けられるが、男同士の奇妙な同情憐憫というエピソードを加味したことによって若干テーマが拡散した印象も拭えない。モチーフを過剰に盛り込み過ぎる作風も相変わらずだ。
個人的には性的なアプローチを絡めながら「純粋な愛情」をテーマに描くことの困難さを感じた映画である。この点についてはキシェロフスキの「愛に関する短いフィルム」或いはル・コントの「仕立て屋の恋」等の作品と比較するのもなかなか興味深いのではないだろうか。
(ま、所謂変態三部作だけどね、間違いなく。)


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