-何の参考にもならない映画評-
The Door into Summer
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「EUREKA ユリイカ」 再考
2006年 04月 20日 (木) 21:04 | 編集
ユリイカ(EUREKA) ユリイカ(EUREKA)

「EUREKA ユリイカ」 再考 ★★★★☆

(2000年日本)
監督:青山真治
脚本:青山真治
キャスト:役所広司、宮崎あおい、宮崎将、斉藤陽一郎、国生さゆり、光石研、利重剛、松重豊、塩見三省、真行寺君枝、でんでん、椎名英姫、中村有志、江角英明、野間洋子、尾野真千子
   ⇒ ユリイカ@映画生活

何故人を殺してはいけないのか?
今この映画が示唆するテーマの重さを改めて思う。

ネタバレ有り
以前の感想ではPSTDからの癒しと再生というテーマでこの作品を考えていたのだが、今一度俯瞰して作品全体を観て感じるのは、理由の無い殺人への衝動を抑制できない病んだ現代社会という問題である。

この作品は偶然巻き込まれたバスジャック事件によって総てを失った人々の再会と心の傷、そして数奇な共同生活から再び彼等がバスに乗って再生への道を模索するまでの物語を描く。事件そのものよりも殆んどは生き残ったバス運転手と兄妹のその後を3時間半に渡って辿っていくという非常に緩やかで静かな長尺物だ。

事件によって運転手沢井は家族と仕事を捨て、兄妹は家族と言葉を失う。突如として社会からドロップアウトせざるを得なくなった人々の共同生活とは、凡そ同じ痛みを分け合い傷を舐め合う一つの擬似家族のようでもあり、一般社会から解離した孤独な楽園でもある。しかし映画はこの閉鎖された世界に「Helpless」の登場人物である秋彦という異質な存在を放り込むのだ。
秋彦とは最終的に3人が戻るべき現実社会との接点としての重要なポイントになっていたように思う。何故ならば彼は、不遜に他人や物事を判断し訳知り顔で馴れ馴れしく近づいてくるという、云わば社会的距離感に対する繊細さというものをいつか欠落させてしまった社会的悪意の象徴でもあるからだ。即ち、宙ぶらりんになって現実から逃避せざるを得ない状況に追い込まれた沢井と兄妹、彼等が乗り込んだバスに表象されるように、現実離れした半ば方舟のような安全地帯に生きる彼等との対照として描かれているのである。
そのことは取りも直さず、いわれの無い暴力を受けて心に傷を負った人々を取り巻く"他人の痛みには鈍感で無責任な社会"と、ほんのすれすれのところで加害者にさえ成り得てしまうような社会の脆弱さをも曝け出す結果になっているのだと思う。

作品で取り上げられるバスジャック事件と連続通り魔殺人事件はどちらも理由の見えない殺人だ。バスジャック犯が何に苦悩して暴走したのか、直樹(兄)が母への憎悪から殺人に走ったのか或いは殺人現場を目の当りにしたことがその原因になったのか、それは鑑賞者には明確には解らない。だがここで、バスジャック犯や直樹の姿は本作と対になっている「Helpless」で突然に暴走した浅野の姿に重なってくるのである。
何故人を殺してはいけないのか?と問われ、沢井は、自分が自分でなくなってしまうから、と答える。また直樹に対しては、待っている、守る、とも。
それは、「一線を越えてしまった本人にとっても隔離された方が幸せ」と他人事のように斬った秋彦(現実社会)への一つの答えでもあるように思う。「Helpless」で決して答えが見つからなかった問いかけに、少なくとも「ユリイカ」は事件の被害者と加害者双方の病んだ心の救済と癒しという答えを導き、それを目指して再びバスを走らせたのではないだろうか。

更に作品を考える上での最も重要なキーワードが、オープニングとエンディングでクローズアップされる宮崎あおいなのだ。
いつか津波が訪れて総てが飲み込まれることを予感した少女は、現実となった哀しみや孤独をその身に引き受けて「生きる」ことを選ぶ。海とは即ち津波のように彼女からあらゆるものを奪い去った現実社会であり、殺人を犯して社会から隔離されてしまった兄が決して臨めないものの表象でもある。
少女が失った言葉を取り戻し、彼女を取り巻く人々の名前を一人一人呼びながら貝殻が放られる。それこそ、彼女自身が事件から逃げずに現実に対峙していこうとする、まさに再生を描くものであり、と同時に被害者加害者双方の傷ついた心の鎮魂と癒しを意味するものなのだろう。
モノクロネガで撮影されカラーポジにプリントするクロマティックB&Wという独特なセピアの白黒映像は、この劇的なエンディングで一転し、鮮やかなカラーへと変わるのである。彼女が乗っていた方舟は病に侵された沢井という存在そのものであり、云わば矮小で弱々しくも決して我々が忘れるべきではない人間の良心でもあったのではないか。

普通ならばカットしてしまうような長回しも多く、平坦な展開と映像が217分の殆んどを占める。だがそれ等は総てあのラストシーンの為に積み上げられた布石であろう。一つもカットするべきシーンはないとして短縮版を青山監督は作らなかったそうだが、何年かぶりに再見してそれを少しばかり理解できたような気がする。映画は現代社会と個人のあり方を考えさせられる実に秀逸な作品であるが、「ユリイカ」から歩を進めることができない我々の社会の現実に暗澹とした思いにもかられる。
カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞受賞作品、役所広司と宮崎兄妹(実際も兄妹w)の熱演もまたこの作品の価値を揺ぎ無いものにしていることは確かだろう。長い、だが素晴らしい作品である。

尚、この作品製作後に西鉄バスジャック事件が発生、事件を示唆するような内容も衝撃を与えたことは言うまでもない。


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