■ Title Index : all ア カ サ タ ナ ハ マ ヤ ラ ワ A-Z・数字 監督別 |
■ ★評価別Index : ★★★★★ ★★★★ ★★★☆ ★★★ ★★☆ ★~★★ |
2005年
09月
06日
(火)
23:16 |
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「霧の中の風景」 ★★★★
Topio Stin Omichli (1988年ギリシア・フランス)
監督:テオ・アンゲロプロス
キャスト:ミカリス・ゼーケ、タニア・パライオログウ、ストラトス・ジョルジョログウ
感想にはネタバレが含まれます。
未だ見ぬ父に会う為にドイツを目指す幼い姉弟。ロードムービーで語られたこの作品自体が一つの象徴であるかのように詩的な作品だ。
冷酷なまでに美しい映像美にまず心を奪われる。澄んだ空気に浮かび上がる圧倒的に巨大な建造物と、矮小な人間との対照的なショット。それはまるで絶大なる力に飲み込まれる人間の運命のようでもある。
さらに、不完全で満たされる事のない総ての事象が、観る者を果てしのない虚無感の中に引き摺り込んでいく。
父のない子。
目的を失った旅。
いつも途中で降りなければならない列車。
生きる意味を探し彷徨う孤独な青年。
歪つに失われた少女の純潔。
そして、進路を指し示す人差し指を欠いた巨大な手。
無秩序によって蹂躙される不完全性の羅列が何を物語るのか、追い立てられる姉弟の旅はさながら歴史の趨勢に飲み込まれる人の運命を表象するかのように当所もなく続く。
目的であった父さえも存在しないという絶望的な旅の向こうに横たわる物は、荒涼とした孤独だけだ。動かない大人達の間隙をすり抜けて、静止した時間の中を幼い二人が探し求めたものは一体何だったのだろうか?
言い様のない寂寥と哀しみに彩られた「生」の彷徨の終わりは、霧の中の一本の木に溶け合うように佇む姉弟の姿となって終局を迎える。木に半ば同化するように映し出されたラストシーンこそ、不完全なものだけで紡ぎ出されたこの作品の中の唯一の完全なる形であるようにさえ思う。純粋であるが故に傷つき汚れてしまう物への半ば鎮魂、そして希望への昇華。
最終的に我々にもたらされたアンゲロプロスのメッセージはそれぞれの解釈に委ねられたまま映画は幕を閉じるのだ。
沈黙に支配され最小限の台詞で描かれるストーリー、唐突な場面展開も多い。普通の起承転結で説明できる作品ではなく極めて抽象的なテーマを包含している作品だ。詩や絵画のような味わいのある作風だが合わない人には永遠に合わないタイプの映画だろう。タルコフスキー作品のトーンを思い出すような美しさと劇的な魅力を兼ね備えた作品だと思う、面白かったですw
「始めに混沌があった。」

■永遠と一日
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