-何の参考にもならない映画評-
The Door into Summer
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 ★評価別Index : ★★★★★ ★★★★ ★★★☆ ★★★ ★★☆ ★~★★ 


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「ヴィタール」
2005年 08月 29日 (月) 14:17 | 編集
ヴィタール スタンダード・エディション ヴィタール スタンダード・エディション

「ヴィタール」 ★★★

(2004年日本)
監督:塚本晋也
キャスト:浅野忠信、柄本奈美、岸部一徳、KIKI、國村隼、串田和美、りりィ、木野花、利重剛、原昇、康すおん、鈴木一功、川島宏知、中島陽典、村松利史、綾田俊樹
公式サイト

肉体の内側に向った愛情の形。
切り刻まれた肉体から愛した記憶が蘇生する。

塚本監督といえば「六月の蛇」において、凡そ中性的で無機質な都市空間に迸る究極の愛の形を描いてみせた監督である。その彼が、愛した人を解剖する男の記憶の彷徨をいかに表現して見せるのか大いに期待したのだが、随分小奇麗というか塚本作品とは思えないほどのあっさりしたテイストだったので正直拍子抜けしてしまった。
本作は全く純粋な恋愛物であって解剖という状況下の異常性は思ったほど強調されていない。

肉体を切り刻むという作業と裏腹に、次第に記憶の海から完全な姿で蘇る愛した女。悲現実の美しい心象風景が変化していくことによって、男の記憶の再生を表現する辺りは確かに今までの塚本にはない内面的な繊細さが映し出されてはいるように思う。
記憶という拠所がない男が恋人の肉体を切り開くことで「生」を取り戻す。あまりにも皮肉な巡り合せであるが、愛情は細胞まで遡って存在し得るものなのか否か、肉体と精神の相対性について考えさせられるという点では面白い視点である。

だが暴力性や突出した異常な本能のエネルギーが陰を潜めた代わりに、其処にあった情動も覆い隠されてしまったのではないのか。冷たい無機質なコンクリートに囲まれた世界から放たれたエロスを残照のように描き出した「六月の蛇」とはあらゆる面で対照的にさえ見える。神経を逆撫でされるようなあの狂気じみたエモーショナルな世界はどこに行ってしまったのか?

鉄塔から絶え間なく噴出する黒煙、開かれてゆく扉、記憶の海で再会する恋人。混迷の中にいる男の脳内がいつしか解放されてゆくかのようなメタファーがいくつも散りばめられ、強烈なインパクトこそないが実に巧妙ではある。極端な表現の暴走を封じ込めたことによって従来の作品よりパワーダウンした分、おそらく一般受けはするのかもしれない。

しかし、だ。収まるべきところに収まらないのが塚本の良さでもあると思う。可もなく不可もなくあまり印象に残らない作品になってしまったのは残念だ。
蛇足だが浅野演じる医大生が全然医大生らしくないのは若干萎えたし、浅野の持つ独特な存在感が果たしてこの作品に合っていたのかどうかそれも正直よく解らない。というわけで個人的には「六月の蛇」には及ばない出来、次作に期待したいと思う。

まぁ、脳内にもしもディラックの海的な世界が存在して、扉が何らかの力で開かれなければ記憶は戻らないのだろうか、などと全然関係ないことを考えてちょっと楽しかった。(そして相対性理論再び(・∀・)w
今月は試験の為ブログは放置必至。溜まっている下書きだけでも今のうちにUPしたいとは思っている。例によって思っているだけだったりするがw

 ヴィタール@映画生活
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