-何の参考にもならない映画評-
The Door into Summer
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イーストウッドのオスカー作品考察
2005年 08月 29日 (月) 14:03 | 編集
クリント・イーストウッドが監督として撮った作品の3本から、の一考察。

      

「許されざる者」「」ミスティック・リバー」「ミリオンダラー・ベイビー」というイーストウッドの3作品はすべてオスカーに絡んだものだが、このアカデミーを席巻した3本を観て改めて感じた事を整理しておこうと思う。

最初に「許されざる者」であるが、それは西部劇の形を借りてはいるが単なる西部劇ではなく、一人の男の人生の選択を描くドラマでありつつアメリカ社会への痛烈な皮肉と批判を示した作品であったように思う。所謂古き良き強きアメリカという表層的かつ希望的なアメリカ像を、人を撃つことに逡巡するガンマンの老いと苦悩を描き出すことによって、彼自身が築き上げてきたキャリア共々葬り去ってしまったとも言えるのではないか。

そしてその流れがさらに明確な姿を持って提示された作品が「ミスティック・リバー」なのではないかと思う。9.11事件を挟んで2003年に公開されたこの作品は、アメリカ社会が抱えている矛盾と不条理を鮮烈に描き出した衝撃的なものだった。
彼が光を当てた薄暗いアメリカの一面というものは、ハリウッド映画に見られる華やかなアメリカとは全く相反する云わば恥部であるだろう。そして「アメリカン・ビューティ」や「アメリカン・ヒストリーX」等の作品によっても晒されてきた闇の部分をさらに高みから客観視して、「ミスティック・リバー」という、汚れた罪や業を総て内包して流れる川に象徴して見せたのではないだろうか。誰にも止めることができない潮流への警鐘と皮肉をは勿論のことだが、そこにはある種の贖罪にも似た深い悲しみ、そしてアメリカ社会が抱えた重い十字架というものを感じざるを得ないのである。

この2作を踏まえて今年度オスカーに再び輝いた「ミリオンダラー・ベイビー」を考えた際に浮かび上がってくるものは、さらなる絶望なのだろうか、否、実はアメリカの再生に寄せる思いに他ならないように思うのだ。イーストウッドが渾身の力を持って描いたこの作品はアメリカ社会が持つ様々な陰の部分を厳然と提示しつつ、決して失われる事の無いアメリカの誇りへの回帰でもあると感じる。人種・宗教・移民・貧富・ドラッグ・犯罪、抱える苦悩を決して覆い隠すことなく彼が見つめてきたものとは、この作品によって明らかになったのではないか。
アメリカン・ドリームという憧憬に訣別したかのように見え、実のところイーストウッドは微塵も否定してはいなかったのかもしれない。それは「25時」でスパイク・リーが見せた「愛して止まない病んだアメリカ」への思いにもオーバーラップするものだ。9.11によって踏みにじられたものを取り戻す為に、もがき苦悩する自国アメリカへの痛切な思い。今振り返って思う「ミリオンダラー・ベイビー」とは、苦悩の膿を出し切って疲弊した自国に対する「赦しと再生」の映画でもあったように思うのである。

尚、これはオスカーを受賞した近年の作品という共通項からアメリカ社会という切り口によって考察したに過ぎないので念のためw。
其々の感想は以下から。
許されざる者
ミスティック・リバー
ミリオンダラー・ベイビー

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