-何の参考にもならない映画評-
The Door into Summer
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「アカルイミライ」 再考
2005年 08月 26日 (金) 22:24 | 編集
 アカルイミライ 特別版

「アカルイミライ」 ★★★★★

監督脚本:黒沢清
音楽:PACIFIC231
キャスト:オダギリジョー(仁村雄二)、浅野忠信(有田守)、藤竜也(有田真一郎)
公式サイト

この作品は観る人間によって非常に評価が割れる、また好き嫌いがはっきり示される映画だ。
嫌われる理由の一つには、「翳りゆく部屋」管理人さんの指摘のようにキャストオダギリジョーのカッコ良さや衣裳の奇抜さによって映画の本来の姿が見えにくくなっているということは確かにあるだろう。主人公の弱々しくじれったい生き方に共感できない、アカルイミライなど作品のどこにも感じられない、等の意見も聞く。そしてそれはどれも間違ってはいないだろう。公開された映画をどう感じようと理解しようとそれは鑑賞する者の手に委ねられているのだから。

以前自分は隔絶された世代と庇護からの脱却という視点からこの映画を観ていたが、久しぶりに観てまた少し違ったものを感じたので書いてみる。
誰彼かまわず攻撃し生きる目的を見失っているクラゲは若者というよりも雄二そのものだったように思う。雄二は守の手で半ば飼育されるかのように生き、守を失った後は有田の元で庇護を受ける。真水に慣らされていたのは他ならぬ雄二自身に思えるのだ。

守は初めはそんな彼に「待て」と言う。
有田も此処にいていい、と言う。

しかし其処に留まれない事を誰よりも知っていたのは雄二自身ではないだろうか。だからこそアンテナのある屋根に上っても何も見えないことも自らの目で確認しなければならなかったのではないだろうか。
「"行け"のサインは出ていたのに」、そう呟いた雄二は彼自身の甘えや迷いの中で答えを出せないでいたことに気付いた一人なのだと思う。
他人や社会という真水の中でクラゲは生きて海を目指した。大群のクラゲは雄二と同じ様に未だ独りで立てない焦燥感と閉塞感の中でもがく若者達なのかもしれない。同じ顔をした掴み所の無いクラゲ達にしても、同じチェ・ゲバラのTシャツを着て歩く若者達にしてもそれは大人の視線から見たステレオタイプな集団としての存在だ。しかしクラゲ達が目指す海がどんなに曖昧であろうと、いつかはゲバラを脱ぎ捨て庇護から逃れ信じるものを探さなくてはならない。進む先にはそれぞれの未来があるはずだ。それがアカルイミライなのかどうかは誰にも解らないが。

自分にもまだこの作品を理解できているとは思えない。
アカルイミライという意味でさえも。
しかし誰しも前に踏み出すきっかけが欲しいのだ。
だからこそ映画の「此処にいてもいい」という言葉に胸を打たれた。訣別しなければならない「此処」を今まさに立ち去ろうとしている人間にとって、その言葉が唯一無二の拠所であり安息であるように思えたから。
許せなかったものを許せるようになった瞬間人間は成長するのかもしれない。

と、こんな事を思ってみたりした。
やっぱり無茶苦茶好きな映画だなぁ。
黒沢監督のあのざらついた質感のある映像もこの作品によく合っていると思う。

因みに「アカルイミライ」のベースの感想は此方ですw


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音楽が無茶苦茶いいので一応ご紹介。
■アカルイミライ サントラ
アカルイミライ アカルイミライ

■主題歌「未来」収録アルバム
イキルサイノウ イキルサイノウ

THE BACK HORNの手がけた主題歌「未来」が収録されたアルバム。
これは激お薦めの一枚です。詞の世界も映画と物凄くシンクロするし破壊的爆音ロックな彼等の音がこの映画には何故かぴったりはまるw。

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